麻雀番組視聴録

麻雀番組Mリーグ,RTDリーグの事など

気骨

 いい年をしたオッサンが、やはりいい年をしたオッサンのファンであることを公言するのは、やはり気恥ずかしくてプロフィールには書かないが、筆者はU-NEXTの小林pのファンである。だから、本ブログでの小林 剛pに関する記事は、ほとんど提灯記事であることをご承知頂きたい。

 

 さて、前回の記事と前後するが、10/1のMリーグ開幕戦はそれにふさわしく様々な見せ場のある試合となった。

 

 おそらく最も無名でありながらドラフトで1番に指名された実力派プロのドリブンズ・園田pの実戦的な喰い仕掛けに始まり、雷電・萩原pの独創的な七対子、U-NEXT・小林pの7万点に達する5連荘、初戦から箱を割り普通なら心が折れるところをしっかりと小林pの親リーチに踏み込み連荘を止めたセガサミー・魚谷pの満貫と枚挙に暇がない。

 

 南3局、園田pの親番、持ち点はトップ目の小林pが59,100点、2番手の園田pが26,300点。小林pはピンフ赤1の見えるそこそこの好配牌で第1打からドラの白を切り出していく。

f:id:mahjongwatcher:20181008155706p:plain

 誰も仕掛けを入れていない6巡目、手はさらに整い、再び訪れた白を当然ツモ切り。

f:id:mahjongwatcher:20181008155731p:plain

 しかしなんと、この白が園田pの面前混一色發赤ドラドラの親跳満18,000に放銃。

f:id:mahjongwatcher:20181008155738p:plain

 この直撃が決め手となり、一時は7万点に達し、トップは確実と思われた小林pはこの半荘2着で終えることになる。

 

 あらゆる視聴者に向けたプロの放送対局なので、当然といえば当然だが、断トツのトップ目からのこのドラ切りについて「そんな打牌をするからまくられた」「これはない」,「ぬるい」,「下手」といった評が見られた。

 

 小林p自身はツイッターでこのドラ切りについて問題無しと振り返っていた。ただ、もちろん、「自分は正しいと思う」というだけで、「絶対にドラ切りが正しい」というコメントではないだろう。

 

 きっと、アマチュアの方が「ドラを切りたくないんですが」と聞けば、「切らなくても問題ないですよ」と答えるだろう。

 若手プロが「あの局面でドラを切るのは怖くないですか?」と問えば、「怖いは打牌選択理由にならないよ」と答えるだろう。

 誰かがキチンと「2番手の園田pの親満ツモ2回に耐えられるのだから、ドラを切るべきではない」と主張すれば、小林pもその可能性も有ると議論に応じるだろう。

 

 あのドラ切りが正しいかは、少なくとも現時点ではだれも絶対的には分からないというのが実際だろう。

 ただ、1つ確かなことがある。断トツのトップ目、少なくとも聴牌まであんなドラを切りだしていかなければ、例え園田pの連荘,あるいはあの局で「リーチツモ混一色發赤一通裏3」の親三倍満12,000オールで逆転を許したとしても、「ついてなかったね」,「あれは仕方がない」で終わり、「ぬるい」等と誹られることはなかったということだ。あるいはリーグ戦の結果、あの時の小林pの手牌で見えた「リーチ平和赤裏」の8,000点分足りず予選突破や優勝を逃しても、誰も指摘しないだろう。

 

 打牌について人がどのように評価するか、数々の放送対局に出演,運営協力している小林pなら、誰よりも良く知っているだろう。ドラを切らなくても何とかなるケースも十分にあることも誰よりも知っているだろう。ましてや、麻雀史上、最も注目を集めた対局ともいえる半荘、リスクなど何一つ取りたくないのが普通だろう。それでも小林pはドラを切った。

 

 昨今、止むことなく日本企業の不正が紙面を賑わしている。しかもそれは、横領したとかではなく、製品の検査結果を偽造したといった、一見ではそんなことして不正を行った担当者に何の得が有るのかといった類のものだ。ただ、同様の組織に属する筆者からすればその行動原理は明らかで「トラブルに巻き込まれたくなかった、上司に怒られたくなかった」という保身であろう。だが、担当者はきっと不正について問われて、こう嘯くだろう「会社のためにやった」あるいは「家族のためにやった」と。

 

 ただ、筆者は組織に抑圧され不正に走った担当者を、もちろん、もちろん正当化することは出来ないが、同情を禁じ得ない。不正だろうと、バレた結果の言い訳に会社や家族を持ち出そうと、人間なのだ、保身もするだろう。不正をすることは自身の保身にすらならないと言われようが、成果を出さなければ恫喝されパニックに陥れられ、解雇されることもある社会で、一体何を正しいとして従えというのか。多かれ少なかれ組織・社会に属する抑圧された側の人々の多くが、不正まではいかなくとも、不本意な選択を迫られていることだろう。

 

 麻雀の対局でも同じことはないだろうか?

 社会における「不正を行ってはならない」は対局において「対局者はルールの範囲で勝利に全力を尽くす」にあたるだろう。「ファンのため」,「魅せる麻雀」実に結構。だが、「ファンのため」,「魅せる麻雀」と嘯き、「勝利に全力を尽くす」ことをないがしろにし、実際には「保身のための言い訳の利く打牌」といった身勝手でありながらファンに責任転嫁するよう打牌をしていないだろうか?

 

 小林pの断トツのトップ目からのドラ白打ち。正しいのか間違っているのか筆者には分からない。ただ、小林pは最大限「勝利に全力を尽くし」、「保身のための言い訳の利く打牌」をせず、自信や勇気あるいはその両方を必要とするドラ切りをMリーグ開幕戦という大舞台で行った。時として組織において不本意に自分を曲げることもある筆者にとって、その打牌は十分に憧れを感じさせるものであった。

 

 普通の人は出来ない勇敢な行為を登場人物が行い、結果として成功するにせよ失敗するにせよとんでもないことが起きるといったことがドラマの類型であるなら、小林pが園田pに大逆転を許したドラ切り、そして放銃は、少なくとも筆者にとっては最高のドラマでありエンターテインメントであった。

 1戦目からこんなドラマを見せられては、Mリーグ、やはり視聴は欠かせない。

 

以上